こんにちは。
心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。
色々な方の感情に触れて心が動いたので、罪悪感についてのエッセイを書いてみました。
昨日は10数年ぶりにとても大切な友人に会いました。
自分ではぼんやりとしか覚えていなかったのですが・・
ずいぶんと前に小説を書いていて、一部の友人に読んでもらっていたようです。
(思い出すとちょっと恥ずかしい)
心理学では心の捉え方を学べますが、
かたい言葉ですと、なかなか身近に感じにくいように思います。
日常に溶けるような言葉で「こころの深さ、面白さ」を伝えていけたら嬉しいです。
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「ある雨の日の上野公園にて」
大切な思い出がつまった上野公園にて。
雨が降る日に、傘もささずにぼんやりしてみる。
音声配信をしようと試みるも、どうもきまらない。
木の葉のすきまから、みずのつぶがぽつりぽつりと落ちてくる。
最近読んだ詩集の中で、「木の影があまい」という表現があった。
最初はどんな感覚なのか想像もつかなかったけれど、今なら少し気持ちが分かる気がする。
センチメンタルになる時のみずのつぶは、ほんのりあまじょっぱい。
罪悪感というやつは厄介なやつで。
知らない間に心を蝕んでいくように思う。
素直になれなくてごめんね。
優しくできなくてごめんね。
守れなくてごめんね。
泣かせてごめんね。
困らせてごめんね。
怒らせてごめんね。
わかってあげられなくてごめんね。
ごめんね、が言えなくてごめんね。
ごめんね、と思ってしまってごめんね。
塵のような記憶も積もれば立派な重石ができあがっていくもので。
特定の記憶/行為に対する罪悪感が積りに積もれば、
身動きさえとれなくなることだってある。
それは、心が自分に対し、前に進むこと/幸せになることを許せなくなった結果なのかもしれない。
もういいよ、と私はあなたに伝えたい。
後悔したいならしてもいい。
泣きたくなったら泣いてもいい。
やりきれない思いというものは、なかなかに鋭利な感情だけれど。
やりきれないと思うほどに大切なものに出会えたことは、幸せなことなのではないだろうか。
もしも、自分が相手の立場だったなら。
そこまで大切に思ってくれている人がいると知ったら、どう思うだろうか。
あなたをなじるだろうか。
まだ足りないと欲しがるだろうか。
人の受け取り方・伝え方は様々だから、そんな人もひょっとするといるかもしれない。
あなたが思うような結果は、その時その場所にはなかったかもしれない。
たとえそうだとしても。
もういいかい、もういいよ、と私はあなたに伝えたい。
上野公園のみずのつぶは、なんだかあまい。
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今日も素敵な一日を。
東(あずま)ゆう
▽こういう景色、結構好きです。御茶ノ水駅ぷらり。