久しぶりの更新です♪ 心理学者ではなく医師を目指すようになった背景。

皆さん、おはようございます。心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。

1週間少しぶりのブログ更新です。

自分の道を突き進む!とか、自分らしいキャリア等と書いている私ですが、

一直線に何の問題もなくすいすい進んでいる時なんてほとんどなくてですね。

基本、色々迷いながら進んでいます!

未経験のことにチャレンジしている今は特に迷走多め・・(笑)

ブログもスタエフ(音声配信)も超スローペースです。(すみません!)

受験が落ち着くまでは、週1ペースで更新できたらいいなと思っています。

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さて、ブログタイトルについて。

当初、心理カウンセラーをしながら心理学者として生きて行こうと思っていました。

人の価値観とは、為替相場のように実に色々な要素が絡み合って出来上がっていると思っていて。

自分の人生を深く振り返りますと、

生まれた時代や国、土地、家庭、性等は自らの意思で選べるわけではなく、

一方で「自分」という存在に大きな影響をもたらしているなと考えました。

それらは時に自分の背中を押してくれ、時に自分を崖から突き落とします。

私自身で言えば、突き落とされた経験の方が多かったかもしれません。

何度か突き落とされ、崖を這い上がる覚悟はあるのか?と問われ続け今に至ります。

だからでしょうか、「その時自分が思う未来に向かって突き進むこと」を大切にしていますし、色んな方の大小様々なチャレンジを心から応援したいと思うようになりました。

チャレンジするうえで、自分のバックグラウンドとは、時に物凄く自分の足を引っ張り苦しめるものです。その苦しみはなんと例えたらよいでしょうか。

コントロールしたくてもできない。溺れたくないのに、あがけばあがくほど底なし沼に引きずられるような感覚かもしれません。

同じ思いを他の方にはしてほしくないな。どうやったら抜け出せるのか?もっと生きやすくなるのか?と研究したい気持ちが強く心理学者の道を考えていました。

 

でも、行きたい研究室を全国各地で探す中で、ふと思い出したんですよ。

職場環境が合わずに適応障害になり、心療内科に行った時のことを。

心療内科に行くのって、最初はそれだけで物凄く抵抗があって。

本当はダメでもなんでもないんだけど、当時は「ダメな自分」を認めないといけないような気持ちになって、私は苦しかったです。

どんな風によい病院を見つけたらいいか分からず、でも動悸も凄いし涙も止まらず怖いから、まずは1箇所行ってみました。

心療内科に行けば心のケアをしてもらえると思っていたんですね。

でも、現実は全くそうではなかった。心のケアはなく、体の症状と投薬治療をするかどうか、会社を休むかどうかの確認で終わったんです。

それで、当たりが悪かったのか?と思いもう1つ病院を訪ねました。

こちらは投薬は勧めない主義で、代わりに栄養指導に注力している病院でした。

やっぱり心のケアはなくって。しんどい気持ちは抱えたまんまでした。

でも、とても良い発見もありまして。

栄養指導を通して食生活を少し変えたおかげで、

「全部ストレスからきている症状だ」と思っていた症状のうち一部が劇的に改善されたんです。

そっか。今体に起きている症状は、全部自分がストレスを抱えているせいだと思っていたけれど、それだけじゃないんだと分かって安心しました。

だいぶ話が長くなってしまいましたが、

心理カウンセラーとして活動しながら過去を振り返る中で、

心と体は密接にリンクしているので、両方のケアをできる人になりたいと思うようになり、医師を目指しています。

東ゆう

▽雨の日の青紅葉。美しい朝でした。

エレベーターではなく階段を上るイメージで自分の道を進んで行く。~カウンセリングの感想のご紹介~

皆さん、こんにちは!心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。

京都に住み始めて、場所によるのでしょうがお花がこんなに多い土地だったのかと、嬉しい驚きがあります。

フリージアの香りが好きです。)

今日は、カウンセリングの感想をご紹介します。

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■東ゆうのカウンセリングを選んだ理由

この狭い(物理的にも視野的にも)日本で、性的マイノリティーして堂々と生きて、人生をエンジョイしておられる勇気に触れたかった。

東ゆうのカウンセリングを受けてみて、良かった点

とてもフレンドリーであたたかく、愛情深い。かわいらしい。芯がしっかりしている!賢いのに頭が固くないという感受性と柔軟性の高さ!
本当にほんとうに、ゆうさんに出会えてよかった!!

はい、私の直感を信じて進んでみます!すばらしい方に出会ったー!!how exciting!

■東ゆうのカウンセリングはどんな人におすすめ?

自分らしく生きたい。外の世界から、他の人になれよというプレッシャーがあるけれど、やっぱり自分が好き。自分の人生を生きたいという方。

めっちゃ自然に背中押してくれますよ!

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バイセクシャルであることをあえてオープンにして生き始めて、

自分の生き方が、誰かの勇気に繋がることもあるのだと驚きつつ、感謝の気持ちでいっぱいです。

私は、世の中が変わるのを指をくわえて待っているのがあんまり好きではありません。

小さなことでもいいから、今の自分に出来る努力はしたいな、と思っています。

自分の努力や誰かの努力が積み重なることで、時間はかかってもいいから、皆が住みやすい社会につながればいいなと思っています。

さて、ちょっと脱線してしまいましたが、

当ブログにお越しの方の中には、自分の殻を一生懸命破ろうと、今まさにチャレンジしようとしている方もいらっしゃるかと思います。

自分の中でそのチャレンジのハードルが高ければ高いほど、生みの苦しみは強いかと思います。怖くもなると思います。時に、1人ぼっちのような気持ちになるかもしれません。

もしそのような気持ちになったら、「エレベーターではなく、階段をのぼる」と思っていただけると嬉しいです。

▽階段は、分かりやすく上り階段だけ書いていますが、実際は下り階段や螺旋階段など、色んな種類があるイメージです。

理想の自分に近づくために、ボタン押せば行けるエレベーターを作るのは難しいです。

だって、エレベーターを作るだなんて大発明ですもの(笑)

だから、色んな種類の階段をつくって自分のペースで上っていくのが良いかな?と思います。

頑張りたいと思うときは、負荷がきつめの階段を用意してもいいし、階段の負荷自体は普通だけどスピード重視でかけあがるようにしてもいいでしょう。

疲れた時は一休みしてからまたどんな階段をつくって上っていこうか考えればよいです。一休みすることは、逃げではありません。

また、上っていく中でゴールが変わることも全然ありえますので、その際は軌道修正したらOKです。

動いてみて気付けることって、案外いっぱいありますよね。

皆様のチャレンジを心から応援しつつ、私も自分の道を突き進みます。

東ゆう

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▽京都お散歩。哲学の道にて。

ブログ開設から半年少し。PV10,000超えました。ありがとうございます!

皆さん、こんにちは!心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。

ふとアクセス数を見ていると、PV10,000を超えている・・!

昨年9月末に恐る恐る開設した当ブログですが、気付けば投稿数は154。

色んな方に読んでいただきとても嬉しく思っています。ありがとうございます。

(開設当初は、エッセイを書くなんて思ってもみませんでした笑)

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新年度になりましたし、ブログ内のプロフィールを少し変えてみました。

"私らしさ"を一番表現できる言葉はなんだろう・・と考えまして。

ブログのキャッチコピーを、

「我慢という制服を脱いで、自分の道を切り拓く。」に変更しました!

長年自分を抑えることが当たり前だった私にとって、

自分が「これだ!」と思う道を見つけて突き進むことは物凄く大切なことです。

うまくいくかどうかはさておき、まず動いてみることをいつも心がけています。

「自分を抑えること」=「我慢という制服」と書いたのは2つ理由があります。

①制服歴12年の私が思うに、制服時代が長いとですね、私服を着ることが少ないから、自分の好きな服を選ぶことがなかなか難しいです。

(案外、決められた服って考える必要がなくて楽だったりします。)

「自分が好きなことを見つけること(=自分を抑えないこと)」を鎧を脱ぐような重さがあることではなく、長年着続けた制服をバサッと脱ぐことだと思っています。

長年染みついた感覚を抜け出すことは、時に鎧を素手で壊すような大変さを感じさせるかもしれません。硬い殻を割る感覚ともいえるでしょうか。

でも、鎧とか硬い殻のイメージのままでいると、なんだか物凄くハードルが高くて無理そうじゃないですか。諦めたくもなるじゃないですか。

だからこそ、「制服(=布)やで」って思うようにしています。

受験生活の兼ね合いもあり、ブログの更新頻度やカウンセラー活動は少しスローペースにはなるかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

東ゆう

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▽I LOVE たこ焼き!!この日はしょうゆマヨ味です♪

春を感じながら、朝散歩。~お花に学ぶ~(京都・天龍寺にて)

皆さん、こんにちは!心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。

年度初めでお忙しい方も多いのではないでしょうか。

私も、久しぶりの受験勉強で少しへろへろです(笑)

仕事でも勉強でも、メリハリをつけながら頑張りたい派な私。

この日はまる1日オフの日~とすることもありますが、

1日の中でオンオフを作ってみようと思い、朝から嵐山にある天龍寺に行ってきました。

枝垂桜を始め、たくさんのお花が咲いていてとても綺麗でした。

新たに好きになったお花もあるので、写真を載せていきます♪

▽圧巻の桜

▽清楚な雰囲気が美しい、一休椿

▽華やかな存在感がある、和田石楠花(しゃくなげ)

▽赤とピンクの組み合わせが美しい木瓜(ぼけ)

▽品があって慎ましく、でも力強い香りがする沈丁花。(とても良い香りでした)

息抜きに自然を見るようになったのは、北海道勤務時代からです。

豊かな自然に囲まれると、自分が解き放たれたような気持ちになったんです。

なんだか物凄く心がのびのびできたんです。

天龍寺のお花は、なんだか花の個性をそのまま大切にされているような感じがして、

そこも気持ちが良いなあと思いました。

形を整えてあると分かるお花も美しいですが、のびやかに咲くお花を見ると、

こちらも構えずに楽しめていいな、と思いました。

たくさんのお花を見ていると、川瀬敏郎先生の本を久しぶりに読みたいと思いました。

「一日一花」という本も素晴らしいですが、(本屋さんで立ち読みできるはず)

「四季の花手帳」もおすすめです。

お花に対する考え方が書いてあるのですが、人生観に通ずるところがあり奥が深いのです。

・・・おっと、油断しているうちに脱線しかけてしまいました(笑)

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お花を見ていると、大きさや色等に関わらず美しさには色んな種類があるんだな。

どのお花にもそれぞれの美しさがあるんだな、と気付かされます。

枯れたお花、地面に落ちているお花も独特の存在感や美しさがあります。

人に置き換えてみても、同じかなと思うんですよ。

年齢や性別、国籍等問わず、人それぞれ魅力を持っていると感じています。

誰かと比較して、自分の強みや魅力を見つけにくい時もあるかもしれませんが、

必ずありますので、ご安心くださいね(*^-^*)♪

今日も素敵な一日を。

東ゆう

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(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑩「生きるとはなにか」

卯月三日。雷乃発声(らいすなわちこえをはっす)

春の雨は美しい。

家の前に咲く椿の葉にしたたる雨粒を眺めると、心が慰められる。

涙とは、心の雨のようだ。

ある時は雷を伴う激しい雨となり、ある時はやわらかく静かなものとなろう。

鷲田先生の本の冒頭部分に、"わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか・・・。"と書いてあった。胸が苦しかったがどこか安堵した。

ずっと考え続けていたことだったからだ。

わたしという人との出会いをきっかけに、深い悲しみを知った人がいる。人として未熟ゆえに、知らなくてよい苦しみを知った人がいる。なんど後悔したことだろう。

一方で、わたしという人を必要としてくれる人もまたこの世にはいるものだ。人として未熟なわたしを愛してくれる人もいる。なんとありがたいことだろう。

今年に入ってからのわたしは、実に35年分たっぷりと泣いているように思う。

表面張力まで水でいっぱいになったコップは、空にせねば新たな水は入らない。

わたしは今、変わろうとしているのであろう。雨降って地固まるように。

正直でいると、自分の心と周囲の愛が、わたしを進むべき方向へ導いてくれるものだ。

孤独を恐れるわたしはこう思う。

ー変わった先に、心から愛する人は側にいてくれるであろうか。

心の中の悪魔はわたしにこう呟く。"そんなものは幻想にすぎない"、と。

心の中の天使はわたしにこう呟く。"愛の力は幻想などに負けぬ。信じよ"、と。

3月の末に、かかりつけの脳外科へ行き、先生に医学部編入を目指す旨を伝えた。

先生の顔つきががらっと変わり、生い立ち等を語り始めた。

「目の前にある壁を越えれば、その経験はあなたの糧になり、盾となる。越えてみせろ。盾を持て。」と先生は私を激励した。

胸が熱くなった。

いつからだろう、ずっと生きる意味がほしかった。

小学校の頃からずっと、自分は怒られてばかりのダメな存在なのだ、生きていると迷惑をかける存在なのだと思っていた。お金だけ無駄にかかる、良いところなど何もない存在だと思っていた。

でも、こんなわたしでも、1つくらい生きる意味があっていいのではないか。

そう考えて、考えて、迷い、惑い、それでも進み、今に至る。

微分がちょっとの変化を表現し、その変化の積み重ねを積分で表現するように。

人生とは、ちょっとした偶然の積み重ねで出来上がるように思う。

振り返ると、若い時はなぜあんなことをしたのだと嘆くこともあれど、

その時の自分にはきっとそれしかできなかったのだろう。

人の時間は有限である。

明日は当たり前に来ると思っていても、突然奪われることだってある。

一日一日を大切に生きていきたい。その時の最善を尽くして過ごしたい。

詩や歌に興味を持ち、今、中国の古典として杜甫を読んでいる。

先ほど美しい詩に出会った。「春夜 雨を喜ぶ」という詩である。

心から湧き上がる感情が、清流のように迫ってくるような杜甫の詩がとても好きである。

杜甫曰く、よい雨はその降るべき時節をちゃんと心得ているようだ。

わたしの心の雨もまた、降るべき時だからこそ降っているのであろうか。

わたしは思う。生きるとはあがくことなのではないか。

幸せを願い、あがくことではないか。

時に小さく、時に大きく、あがくことではないだろうか。

答えは分からないままでよい。

すぐに分かってはつまらないのだから。

東ゆう

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偶然の出会いに対する「これ、なあに?」と「これ、なんで?」を大切すると、進むべき方向が見えてくる。

皆さん、こんにちは!心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。

今日京都は雨。土砂降りは嫌いですけど、やわらかい繊細な雨は結構好きです。

朝から北野天満宮へ行ってきましたが、人がおらずいい感じでした!

さて、今日は自分らしいキャリアがテーマです。色々ぐるぐる考えてるんだけど、よくわからんって方向けかな。

世の中には色んな自己啓発本があることと思いますが、正直読まなくていいです。

本って、地味にお金かかりますし。

読んだとしても、ヒント探し程度が良いですよ。

まず必要なのは、疑問を持つことかと思っていまして。好奇心とも言いましょうか。

目の前の出来事のうち「これ、なあに?」・「これってなんでやろ?」って思うことってあると思うんです。

大人の目線ではなく、子供のように純粋に、「なんで?」って思うことがポイント。

子供:「なんでThis is a pen やねん?」

先生:「そういうもんやからや」

ってやりとりをしたことがある方はいらっしゃいませんか?

あのイメージですね。

誰かにジャッジされることを一旦忘れ、

「これ、なんでなんや?」って気持ちを自由に持つことって結構大切だと思います。

なぜなら、目の前で皆が正しいと言っていることが、必ずしも正しいとは限らないからです。

特に日本のように同調圧力が強い国では、多数派の意見=正解のように流されがちですが、それは危険かなと思います。

ちょっと脱線しちゃいました。

では自分が進むべき方向に導いてくれる疑問ってどんなものでしょうか?

ある人は「なんで勉強しないといけないんだろう?」って疑問に思うでしょう。

ある人は「地球ってどんな形なんだろう?」って疑問に思うでしょう。

疑問の中身は、人それぞれです。気付き方も人それぞれでしょう。

私のように幼少期からずっと抑圧され続けていたような人は、

ネガティブな感情の中に隠れる「なんでこうなの??」という疑問が自分を導いてくれるのかもしれません。

▽私が色んな経験を通して感じてきた疑問の例はこちらです。

・なぜ、私は人に言えない相談をされるのだろう?

・なぜ、私は何かを託されることが多いのだろう?

・なぜ、同じ人であるのに、同性愛者というだけで生きづらさを感じるのだろうか?

・なぜ、「あなたのためよ」と言われているのにこんなに自分はしんどいんだろう?

・なぜ、会社には楽しそうにしつつも目が死んだ人がたくさんいるのだろう?

・なぜ、海外には生き生きとした目を持つ人がいるのだろう?

・なぜ、1つの会社でずっと働くことを「正義」(転職は悪)だと思っている人がいるのだろう?

・なぜ、ネット社会は進化するのに人間関係は希薄化が進むのだろう?

・なぜ、オーストラリアの人は容姿をけなさないのに、母は私を人前でけなすのか?

・なぜ、日本が生きづらいと海外を選ぶ人がいるのだろう?何がそうさせるのか?

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ちなみに、私が心理学の研究者ではなく医者を目指すことにしたのも、

自身の中にある「疑問」がベースです。

自分とパートナーが適応障害になったことで偶然出会った「疑問」と、カウンセラーとして心理学を学ぶ中で出会った「疑問」をかけあわせて、どうやったら疑問が解消されるか?を考えるうちに目指す進路が決まりました。

これは長くなりますので、次回書きますね♪

自分らしいキャリアって、「どうやったら?(=具体的な職業名)」を先に見つけようとすると、結構難易度高いです。

だから、まずは自分の中にある「疑問」を見つけることをおすすめします!!

東ゆう

~4月カウンセリングのお申し込みはこちらです。お待ちしております♪~

(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑨「イランとわたし①」

⑨ー1:出会ってきた偶然を拾い集めれば「道」となる

私という生き物は、これまでのたくさんの出会いを通して作られている。

なかでも印象的なのは中東との出会いであろうか。

「社会を変えたい」・「時代に合った、皆が生きやすい社会をつくりたい」

そんな情熱を糧に勉学に励む今、イランを思う。

私は、「アルゴ」というイラン革命を取り扱った映画が好きである。

日本を変えるために必要なのは、この映画から感じるような熱ではないかと思う時がある。地政学的リスクを抱える国が持つ、強いエネルギーが必要なのではないか。

将来イランからヒントをもらう日がきっと来るだろう。理由もなくそう思う。

⑨ー2:ペルシャ語を専攻するまで

私は阪大の外国語学ペルシャ語専攻を卒業している。ペルシャ語とは、イランの言語である。元々第一志望だったわけではない。

高校生の時は、第一志望医学部・第二志望が言語だった。

普通、医学部志望者の第二志望は薬学部か歯学部なのだが、私はその2つに全く興味がなかった。

浪人時代のセンター試験で、一番得意だった英語で信じられない失敗をしたことは一生忘れない。生まれて初めて30点も失点し、医学部受験が厳しくなったから文転した。

通っていた高校には、医者の家系の娘が普通に何人もいた。彼女たちには当たり前のように私大医学部という選択肢があったけれど、私は一般家庭の子なので、その選択肢はなかった。でも、親を恨んだことは一度もない。

むしろ、小学校から高校まで私立に通っていた自分をごくつぶしのように思っていたから、大学は私立を避けたかった。

第二志望が言語だったのは、「言語」があれば色んな国の人と出会い繋がれる楽しさを小さい頃から知っていたからである。

小学生低学年頃からだっただろうか。英会話教室や英語塾に通っていた。また、母が留学生と積極的に関わっていた時があったから、私の幼少期は、海外の人と接することが普通であった。

言語といえば外大である。阪大の外国語学部と東外大を迷った。

迷って、詳しくもないくせに司馬遼太郎の母校だからと阪大(旧大阪外大)を選んだ。

さて、阪大の外国語学部にはマイナー言語含め色んな専攻語があり、受験時に選ぶ。

医学部への未練が捨てきれない私は、偶然本屋でハンガリーの医学部へ進学という本を見つけ、前期はハンガリー語にした。

後期は、どうせ学ぶなら人がやったことがない言語をしようと思い、学部紹介を見る中でモスクの美しさに惹かれ、ペルシャ語を選んだ。

それがペルシャ語もといイランとの出会いだった。

⑨ー3:イランへゆく

2011年の2月から1ヶ月間、イランへ行った。確か帰国した翌日に東日本大震災が起きたように思う。

記憶が正しければ、関空からドーハ経由でテヘランへ行き、そこからローカル便でシーラーズという都市へ向かった。ドーハ空港内では頭を隠す必要はないけれど、テヘラン行きの飛行機に乗るその瞬間からヒジャブは必要であった。

イランでは、シーラーズ大学にて口語を学んだ。学習の合間に、観光地にもたくさん連れて行ってもらった。

ゾロアスター教の聖地ヤズド、ピエール・エルメのケーキの名前でおなじみのイスファハーン、ペルセポリス等も行った。夜のスィーオセポルの美しさをまた見たい。

(※スィーオセとはペルシャ語で33、ポルは橋の意)

ああ、現地で美容室に行ったことも興味深く覚えている。

女性専用の美容室だった。その国の文化的背景を知っていれば当たり前なのだが、やはり新鮮だった。

閉ざされた世界にいると、どうしても自分と異なるものを受け入れる力が弱くなるように思う。

日本と全く違う文化を持つイランに行った経験は、一生の財産だと思う。

東ゆう

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▽京都にて。家の周りに椿が多く嬉しい。