厳しさの中にある愛情を見つける(祖父と私)

こんにちは!カウンセラーの東(あずま)ゆうです😊

父がだいぶ元気になり、たこ焼き味のハッピーターンをむしゃむしゃ食べているのを見て、ほっとしながらこのブログを書いております。

実家に帰るとやはり家族のことを考える機会が増えますね。ということで、今日は祖父との関係について、「厳しさから愛情を受け取る」という視点で書いてみたいと思います。ちょっと長いので気長にお付き合いください😊💦

 

祖父と私の関係について

私は、良くも悪くも母と母方の祖父の影響をたくさん受けて育っています。祖父は昔から家族への愛情がかなりある人で、それは孫に対しても同じでした。ただ、愛情表現の方法がいわゆる孫ちゃんLOVEのような温かい表現ではなく、「孫が厳しい世の中で生き残れるように、小さい時から厳しく育てる。」という方法でした。当時祖父は経営者をしていたので、今思えば世間の厳しさ・辛さを誰より感じていたのだと思います。

そんな祖父の孫への愛情表現は、子供には受け止めるのが難しいやり方でして、端的にいうと小さい時から会えば人生訓・説教祭りでした。(笑)さすがに幼稚園の時の記憶はありませんが、小学校の時からずーっと、人生の切り拓き方を祖父から学んでいたように思います。

会えば、「お前にはハングリー精神が足りない!」・「向上心を持たないものはつまらん」・「とにかく色んな本を読め」・「とにかく一生懸命勉強しなさい」・「志を持て」等々。※小学生の時から言われてます。(笑)

祖父はとにかく一生懸命で、仕事にも家族にも自分なりに一生懸命愛情を注いでいるようなタイプです。そして母はそんな祖父の影響をかなり受けた超教育ママ(過干渉)へ進化!といった感じです。(笑)母の過干渉についてはまた今度書きます。

祖父と会うたび、もっと努力しろ!努力が足りん!と説教をされるので、それが今の自分を否定されているように感じて凄く窮屈でした。尊敬はするけどなんか苦手。そんな存在でした。

「苦手」と感じつつ祖父を「嫌いきれなかった」理由は・・?

社会人になるまで祖父が苦手でした。苦手だったけどどこか嫌いきれない自分がいました。尊敬してるからか・・?なんか違う。。なんだろう・・。ずっとずっと考えていたのですが、今思うと言葉がどれだけ厳しくても、その裏にある愛情を子供ながらに感じ取っていたからだと思います。なんかよくわかんないしうざい時の方が多いけど、「なんか私のことを思って言ってくれてるのは伝わる」。感情は言葉に乗るものなので、祖父の言葉ににじむ感情(=愛情)を受け取っていたのだと思います。

また、当時は説教を通して自分が否定されていると感じていたので、祖父=今の自分を否定する存在と思っており祖父が苦手でした。でも、色んなプロセスを通して自己信頼が進む今は、祖父の中にたくさんたくさんある愛に気付くことができました。

"自分は自分"、"祖父は祖父"。"自分は自分でそのまんまでいい"・"誰かに認められることが自分の価値ではない"そう気付けていくと、祖父が今までおかれていた環境や行動を客観的に見ることができて・・

「忙しく仕事に一生懸命な中で、自分がしてきた苦労をさせないように、愛情をもって厳しく子供や孫を育てようとしてきた祖父」に気付くことができました。

読者の方の中にも、何か思い当たる方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 

次回のテーマについて

祖父から言われたことで、今でも凄く大切にしていることがいくつかあります😊次回は「祖父の教えと今の私への影響」について書きたいと思います♬

長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。😊

それでは今日も素敵な一日を✨東ゆうでした♬

▽実家の玄関。母が季節ごとに自由に器等を飾ります。日本の民芸品の中にまぎれている右から2番目のサボテンの器は、私がモロッコに1人旅をした時に一目ぼれして買ってきたものです😊💓