(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑧「女とは何かを考えるー祖父と私ー」

⑧ー1:学問的視点から見る日本

「女とは、なんだろうか」

「女に生まれてよかったのだろうか」

「女に生まれなければよかったのだろうか」

そんな疑問を、今思えば幼少期からずっと抱き続けていた。

これは日本のように男性優位の社会に生きる女性が感じやすい疑問であろう。

大学院時代、組織文化や心理、異文化理解について興味を持っていた。色んな研究を探す中で、ホフステッドの6次元モデルに出会った。

ホフステッドは、オランダの社会心理学者である。日本含める色々な国の文化的価値観を6つの尺度で表したのが、当モデルである。

①「権力格差が大きいか/小さいか」②「集団主義か/個人主義か」③「女性性優位か/男性性優位か」④「不確実性を回避する志向が高いか/低いか」⑤「短期志向か/長期志向か」⑥「人生の楽しみ方が抑制的か/充足的か」の6つが尺度である。

このモデルによると、日本はかなり男性性優位な社会である。

阪大の大学院に入り、生粋の東大生である指導教授のもとで学べた2年間は人生を変えてくれた。

「学問とは、世の中を見るための眼鏡なのだ」と知った。

心理学・物理学・生物学etc。世の中には様々な眼鏡が存在している。各眼鏡をかけると、目の前の事象の見方が変わっていく。実に面白く奥深い。

先生は物凄く私に厳しかった。ついていくのは大変だったけれど、物事の本質を徹底的に追求する姿勢をしっかり吸収できたことに、深く感謝をしている。

⑧ー2:母方の祖父と私

私の中にある「女」に対する違和感は、小学生頃からあったのかもしれない。

お洋服選びを通し、「女性として(美しくあるべきなのに)醜く価値がない=私」という洗脳を母からされ続けた。

今でも、母は時折私を自然に否定する。謙遜という建前で、自身の歪んだ本音を正当化する。

様々な眼鏡を持つ私には分かる。母の歪んだ考えのルーツは、彼女が敬愛する私の祖父にある。

身体のパーツがより女性らしく育った頃から、祖父から何度も言われていることがある。

「女は美しくあれ。女なのだから、美しくないとだめだ。」

「美しくあらねばだめだが、女性的な部分は隠せ。」等々。

母から自身の女性的な部分を否定されていた私にとっては、地獄のような言葉だった。

ただでさえ勉強面でも人一倍期待という名の押しつけをされていたのに。またそれか。

人は、高すぎる理想を押し付けられると、どんどん歪み沈んでいくものである。

「自分は美しくない」という価値観を植え付けられている私にとって、「美しくあれ。だが磨いた美しさは隠せ」という祖父の理想は苦痛で仕方がなかった。

⑧ー3:父方の祖父と、私

父方の祖父は、母方同様「良くも悪くも家父長制の象徴」のような存在だった。

家では絶対的な存在だった。スポーツも仕事もなんでもできる万能な人だったが、仮面を被ったように感情を見せない抑圧を感じさせる人でもあった。

いつも威圧感があるこの祖父が、私は苦手だった。どこかに男尊女卑の香りがするのである。

亡くなった父方の祖父との思い出で、一番強烈なものがある。祖父母と父と弟と私との5人でとんかつを食べにいった時だっただろうか。

メニューを悩む私に、「女なのだから、これにしなさい」と言ってきたのだった。誰もその祖父の発言に指摘をしなかった。さもそれが普通かのようだった。

その時、「女の私には決定権はないのか」と絶望しつつ「なぜなのだ」と思った。

九州の田舎において、男である弟は家を継ぐ存在として優遇されやすい。

そのはずなのに、なぜだろう。いつだろう、祖父達は私を特別扱いすることもあった。それこそ田舎に生まれた待望の長男かのような扱いを受けたこともある。

正直わけが分からなかった。

「私」という存在の価値は一体どこにあるのだろうか?

「美しい女である」ことに価値があるというのか?

「男に従順な女である」ことに価値があるというのか?

「美しい」とはなんであろうか。

人生とは実に面白いものだ。

生きてきた中で湧いた疑問を拾い集めれば、「志」が輪郭を形成し始めるのだから。

東ゆう