(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑦「田舎にて、三方良しを学ぶ」

弥生四日。草木萌動。

30代になってようやく飲めるようになったカフェラテを片手に、鷲田先生の『大事なものは見えにくい』という本を読んでいる。

幼少期はあんなに嫌いだった勉強が、「考える喜び」を知った今楽しくて仕方がない。

カウンセリングを通して色んな人生と向き合うたび、私もまた自分の人生について振り返る時間が増えていく。

北海道で過去の自分に別れを告げて以降、感謝する時間が増えてきた。

幸せをくれたものにも、辛さを教えてくれたものにも、全ての出会いに深く感謝をしている。経験した感情の幅は、そのまま人の深みと表現力に繋がるからである。

人伝てで聞いた言葉だが、人生には3回覚悟を決める時がくるらしい。

私はどうだろう。大なり小なり覚悟を試され続ける人生だったから、選定が難しい。

1回目は、生きることを選んだ10代半ば。

2回目は、バイセクシャルを自認した30歳頃。

3回目は、今だと思う。

過去の全てを振り返り感謝しつつ、働き方、生き方等全てにおいて変えようとしている今こそが最後の覚悟の時のように思う。

34にして天命を知り受け入れ、35にして惑いもがく。天命を知り受け入れるとは、後戻りができないことを指すように思う。道中あがきたくなるような苦しみに襲われながら覚悟を試される。今がその時である。40にして惑わないかはわからない。

過去を振り返る中で、ふと母方の祖父を思い出した。

福岡の田舎で長年経営者として頑張った祖父。あっという間に90代である。

私からすると、「良くも悪くも家父長制の象徴」である。

祖父との思い出はたくさんあるけれど、「会社とは誰が為にある」ということを、深く学んだように思う。

何にもない田舎にある小さい会社だったけれど、祖父は社員を家族だと思い大切にしていた。そして、人との繋がりを大切にしていた。

確か毎年1回だっただろうか。地域住民向けに、感謝祭というイベントを祖父は開いていた。その日祖父の会社の目の前の広場には、様々なお店が並ぶ。

長崎の五島からうどんを売りにくる者もいれば、確か熊本のよく切れる包丁を売る者等。卵や食べ物も売っていた気がする。ああ、そうだ。ガス屋であったから、関連製品もお買い得だったような。

田舎には選択肢がない。だから感謝祭の日は、縁日のようにたくさん人が集まっていた。その日は祖父を筆頭に、皆が一致団結してイベントを支えていた。

孫の私は、五島うどんの売り子を手伝ったことがある。4年ほど百貨店の和菓子屋でアルバイトをしていたから、人前での売り込みに抵抗などない。むしろ好きな分野である。

2人の年配男性と一緒に、試食販売を行った。男性陣はうどんを作り、私は試食を配りつつ、店先にあるうどんを売っていた。

五島のおうどんは、つるっとしてあごだしがきいて本当に美味しい。

皆がうまいうまいと言いながら、目の前で美味しそうにうどんをすする姿を見るのは嬉しい。でも、私とてバカではないから、ただ試食がはけるだけでは意味がない。メンバー2人と一緒に、押し売りはせず自信をもって商品をアピールしていた。

美味しいから買うよと言われた時は、頑張ってよかったと心から思った。

売っている最中、音楽の先生をしている女性から声を褒めてもらったことも忘れない。それはそれは嬉しかった。

イベント名にふさわしく、祖父は心から感謝を込め、企業活動を通して地域貢献をしていた。それはとても魅力的な三方良しの世界だった。とても厳しい人だけれど、この人の孫に生まれたことを感謝している。

「志」というのは、社会のために何かしたいという情熱の集合体だと思う。

「志」を見つけると、そこには「道」があり、あとはただ進むだけである。

誰が何と言おうと、何度転ぼうと、這いつくばっても実現したい志がある。

「道」は未来を切り拓くためにあるのだと、声や言葉を使い、色んな人に伝えたい。

東ゆう

▽祖母が育てるコデマリ(名前はうろ覚え)