(旅エッセイ)天命を知り受け入れる旅⑦「生きるうえでの自分の役目を知る」

千葉に行く前に上野でモネ展を見に行った。「本物をとにかく見ろ」と学生の頃祖父に言われて器や絵をとにかく見て回って10数年、いつしか私は印象派の絵を通して今の自分に気付けるようになっていた。上野という芸術が集まる街の力は凄い。いつもより感性も感情も鋭くなり、最近忘れていた自分の気持ちに気付いてしまった。私は家族を愛している。

大好きな祖父の教えを個性にまで落とし込めた私は、「私の遺伝子を必ず後世に残せ」と祖父が父を叱っていたと聞いた話を思い返していた。モネ展のショップにて、感じるままにモネの絵がそれぞれ描いてあるポストカードを5枚買った。伝えたい時に伝えないと、気持ちは鮮度が落ちてしまう。後悔したくはない。

東京藝大近くにある上島珈琲の2階で、人目も気にせず声も出さず号泣しながら手紙を必死に書いた。両親と弟と祖父、最後は大切な息子を亡くした叔母だった。理由は分からないけれど、今の私にできることが書くことだと思った。

いつも優しく黙ってすべてを受け入れる父には、娘に生まれてよかったと書いた。今なお自分らしい生き方に悩む母には、信じて進めと書いた。才能がありすぎて迷子になっている弟には、やりたいようにやってみろと書いた。叔母には、亡くなった息子が生きるうえで求めていたことを代わりに伝えた。高学歴で特に周りから期待されてきた者の悩みや孤独は当事者にしか分からないからだ。祖父には、教えをずっと守ってようやく人生をかけたい仕事に出会えたと書いた。

手紙が届いたらしく、弟から電話がきた。好きなように喋り、やってみたいことを私に語った。姉のカウンセリングを受けたいらしい。最近70代の友人男性からも同じことを言われた。私はちゃんと分かっている。彼らは悩んでいるのではなく、ただ私を通じて「本来の自分」を確かめたいだけなのだ。それでいいと私は思う。

旅をする前から、私の先生でもあり友人とも感じる方とずっと連絡をとっている。私が大好きで尊敬する、阪大元総長の鷲田清一先生を彷彿とさせる、哲学的であり柔軟で遊び心を持つ人。彼と話していると、研究者気質の私が好奇心を隠せず出てきてしまう。「考えること」は自分を縛ることではなく、自分を自由に解き放ってくれるものだ。

千葉で新しく出会った友人が面白いことを言っていた。沖縄の音は波の音と同じ拍子なのだそうだ。曰く沖縄の音はハワイの音と同じらしい。わくわくが止まらなかった。私の周りにいる魅力的な友人達は、それぞれ自分の言葉で物事の本質を表現していく。

この旅での経験を、関西に帰ってからずっと振り返っていた。昨日の朝何かひらめいて、私がこれまで見てきた人を自然に例えてみることにした。

私が思うに我々はそれぞれ役目をもって生まれてきている。今見つけたものは、「海の人」・「太陽の人」・「空気の人」・「炎の人」・「風の人」・「山の人」・「種の人」・「大地の人」の8種類である。世の中の大部分が「種の人」であり、その他のタイプは数がかなり少なく孤独を感じやすい。

「海の人」は、新しくできた千葉の友人と、私のカウンセラーの師匠だろう。色々な生物を包む力がある癒しの人。ただ自分が満たされて微笑んでいるだけで、周りがきっと癒される。私から見ると、師匠は本来カウンセリングをしなくても人を癒す力があるはずだ。

「太陽の人」はカウンセラー同期に1人だけ今日見つけたばかりだ。おひさまのように皆を照らせる明るく優しい人。太陽に雲がかからず晴れていれば、人々は活発に動き始めるだろう。

「空気の人」は妻である。"私は私、あなたはあなた"と自然に線引きが出来ている人。目に見えないうえに当たり前の存在だから良さが気付かれにくいけれど、孤独を感じやすいタイプの人は、空気の人から普通に扱われることでかなり救われるに違いない。

「炎の人」は前述した哲学的な彼や母だろう。情熱的で温かく人を応援できる人。炎はコントロールが難しいけれど、本来人を癒す力を持っている。キャンプファイヤーの前では無言でも癒されることを想像してもらえば分かるだろうか。

「風の人」もまたカウンセラー同期に1人だけいる。本人は自分を虫だと勘違いしているがとんでもない。風のように爽やかに時には激しく情熱を楽しめる人。彼女が本来の自分に目覚める日が今から楽しみで仕方がない。彼女の風はきっとたくさんの人を癒すだろう。

「山の人」は千葉の友人と川瀬先生のような達人タイプである。とことん自分を律し誰より高みを目指している。一見厳しく思われるが、実は懐が凄く深い。このタイプには、人の能力をたたき起こすような美しい力強さがある。

「種の人」は世の中を豊かに変えられる人。種にはたくさんの種類すなわち可能性がある。バナナでもいいし、可憐な花でもしゅっとした松でもなんでもいい。種の人が目覚めるだけで、世の中が彩り豊かになっていく。可能であれば私はマンゴーかパインの種になりたかった。

「大地の人」は、私を含めて2人しか見たことがない。1人は北海道勤務時代の大好きな上司でありまだ目覚めていない。すべてのものは最後は土に還る。過去や現在における様々な生命を受け入れる大地の人には、人を本来の姿に戻すような癒しの力と安心感がある。コンクリートの下にあることも多いから、目覚めなければ周囲から魅力を気付かれにくい場合もある。私の元上司がそれだ。あんなに優れた才能を持っているのに、分かっていない人が多すぎる。

それぞれの役目はすべて何らかの形で繋がっている。役目に優劣はなくすべてが尊く美しい。多様性を謳いながらも正解・完璧主義になりつつある世の中に負けてはいけない。あなたはあなたのままで美しい。大好きなたくさんの個性を守るために、私は覚悟を決めたい。

続く 東(あずま)ゆう

▽上野で行ったモネ展