(旅エッセイ)天命を知り受け入れる旅④「山形県 山寺にて悟り覚醒する」

原点回帰と称して始めた5泊6日の旅の最終日は、朝から友人と山形県にあるお寺ー通称『山寺』と呼ばれる宝珠山 立石寺へ行った。その後に宮城へ戻り松島にも行ったけれど、山寺との出会いがあまりに強烈で霞んでしまった。とっても怖い場所だった。自分の心に正直に生きる者だけが気付けるだろうが、あのお寺は「悟りと覚醒」の場所である。たかだか2時間の滞在だったのに、自分がなんのためにこれまで不思議な人生を歩んできたのか、自分に与えられた使命がなんなのかがすべて分かってしまった。

山寺は、仙台と山形を結ぶ仙山線と呼ばれる路線の電車にのって1時間ほどの山寺駅に存在する。石で出来た階段をかなりの数登っていくのだが、1段登るごとに煩悩が消えるとされている。階段を登る前にも芭蕉の像があったり、色々見るべきものがある。

一番上まで登ると舞台造りの小さなお堂が見えてくるが、登る過程にも複数のお堂があるようだ。時間の関係でその日は一番上のお堂にだけ行ったが、そこから見る景色は神秘的で絶景であった。山の天気は変わりやすいから、きっとあの景色はあの時だけのものだろう。水墨画を描く人の気持ちが少し分かるようなそんな景色だった。

以前美術館で水墨画を見た時は、惹かれるもののなぜ色を使わないのか分からなかったが、今はなぜ使わないのか分かる気がする。漢方でいう陽と陰と同様、明と暗が人間の本質なのだと気付いて白と黒の2色で描くのだろう。黄色やピンク等の多様な色は、生きていく中で人や自然といった様々なものとの関わりの中で生まれるものだから。私の大好きな志村ふくみの『白のままでは生きられない』という本のタイトルの意味を改めて味わうことになった。

漢方については、旅の中で友人から教わった。千葉で過ごした短い時間のなかで、本当に色々な話を教えてもらった。漢方の話からアーユルヴェーダの話、他にもたくさんある。この友人と出会えたことは、私の会社員時代の一番の宝物だと思っている。今の妻もそうだが、宝物のような人に出会うことが稀にある。そんな時はいつも心の中で、生まれてきてくれてありがとうと思っている。「宝物」の人にはそれぞれ特別な才能がある。これは書くと長いのでまた次回にでも書こうと思う。

話は戻るが、山寺は実に奥深い場所である。なぜなら寺全体が「人生」を表現しているからである。石段の高さは基本無理なくあがれる高さなのだが、たまにややきつく感じるものがある。登る時の方向や傾斜も様々であり、目の前をまっすぐ登る時もあれば右にも左にも登っていく。傾斜も様々で、ゆるやかなところもあればきつい坂のようなところも進んでいく。

長く続く石段をあがっていくと、私のような運動不足マンは息があがってしまうのだが、道中には小さく平らな休憩スペースがいくつかある。石段の高さが絶妙なのかなんなのか、この休憩スペースで少しだけでも休んでから前に進むと、毎回スタートが軽やかだから不思議である。私の乳酸は正直だから、しばらくするとまた太ももが痛むのだが、休憩スペースが目の前に見えていると不思議と怖くない。時間はかかっても必ず上まで辿り着こうと心のエンジンがかかるのである。最後まで登り切った先にある景色は前述のとおりだ。

ふと祖父の教えを思い出した。私が高校生の頃だっただろうか。マッチ箱を取り出して色んな角度に傾けながら「ゆうちゃん、山には登り方が何通りもあるんだよ」と教えてくれた。教えを思い出しつつ立石寺が山寺と呼ばれる所以に想いを馳せながら下山した。下山した先にある売店に行くと、レジ横に小冊子が何種類かおいてある。特に気になった2冊を購入した。その1つが、『芭蕉奥の細道旅日記』である。今まで芭蕉なんて興味ももたなかったのに。

大阪に戻ってこの冊子を1枚だけ読んでみた。第一章の冒頭部に、芭蕉が人生は旅のようだと感じていたこと、一生を旅の連続で過ごし、狂人のようにひたすら俳句の道に励んでいたことが書かれてあった。安心して泣きそうになった。そこには私が求める生き方の根幹が書いてあったからだ。

34年間生きてきて、業界トップのような人を含めたくさんの人に会ってきたのに、生きる上でのモデルケースになぜこんなにも出会えないのかとずっと孤独を感じていた。今考えると当たり前だろう。新渡戸稲造のような志を持ち、宮沢賢治のような感性を持ちつつ、日常と交わりながら松尾芭蕉のように生きていきたい。たくさんの人に出会いたいと考えつつ、海外に住むことがピンとこず日本にとどまることにこだわっていたのは、このためか。

日本はまだまだ美しい。世の中には色んな役目をもった人がいるけれど、どの役目の人であっても「自分らしく生きる」ことに目覚めた時には強力な力を発揮するものだ。本来の自分に戻った人たちが織りなす様々な色に溢れた世界を守るために、私は突き進んでみたい。

続く 東(あずま)ゆう

▽山寺の一番上のお堂から見た景色