(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅③「風林火山を感じ今を生きる」

睦月二十三日、款冬華。

瑞雪を踏みしめながら、早朝の狸小路を歩く。ホテルのある7丁目からまっすぐ二条市場へ進み、しばらく歩けば北海道神宮頓宮が見えてくる。

雪に濡れる狛犬の眼は優しい。誰もいない境内で、私は何度も何度も神に土下座する。降り積もる雪は少し冷たくもどこか温かい。

イランでみた祈りの風景を思い出しながら、私も八百万の神へ祈るように誓う。

「全ての人が自分らしく暮らせるよう、内閣総理大臣を志します。」

運命は自分で選び掴めるが、定めは異なり。

なんど自分で選ぼうとしても、決められたレールに戻されるのである。なんど抗おうと、必ず戻される。それは「これまで培った当たり前の世界との別れ」であり、「孤独と希望に満ちた光の世界との出会い」である。

狛犬に積もった雪を優しく払いのける。眼を覗きじっと対話する。私はここ北海道が大変好きである。歴史のない場所と人は言うが、歴史のない分新しいものを受け入れる寛容さがこの地には脈々と流れている気がするからだ。

出馬をするときはきっとここにしよう。次なる私の人師はクラーク博士であろう。

直感には2種類ある。「従ふと100%間違いのない直感」と「従ふと感情に振り回される誤った直感」である。

前者の直感は、心に正直に生きるものだけが身に着けられる。その直感をもって、博士号は北大で取ると決意した。世の学生たちよ、世界標準の学歴とは修士である。

国立大学を選べば、広く浅く考える力が身につくであろう。

私立大学を選べば、狭く深く考える力が身につくであろう。

いずれか1つでは足りず、両方をもってしても世渡りのうえでは足りないものだ。

世の中の学生よ、未来を支えるコペルニクス達よ。世間を恐れず大学院を目指してほしい。物事の本質を探究する精神こそ、世渡りの要である。

肩書や学歴に惑わされるべからず。わびさびの精神をもって、自分の本質と向き合うべし。さすれば自分に相応しい人師に自ずと出会えるであろう。

情報社会のこの世では、「誰かの正解」に影響されやすい。自分という「真実」を貫くことは難しい。親の言う通りに進めば幸せだと言う人がいるが、本当だろうか。先生の言う通りに進めば正解だと言う人がいるが、本当だろうか。

「誰かに押し付けられた自分」という幻に負けてはならない。個性とは多面体なのである。自分を正しく理解する人に出会うためには、自分と永遠に向き合うしかない。

令和のこの世は、さながら戦国時代である。

平等やダイバーシティという言葉の影で、今日もたくさんの人が傷ついている。

アベノミクスは何故うまくいかなかったか。答えは実に簡単である。3本の矢の本質を考えずして実行したからである。答えは全て花が教えてくれる。

国花を見よ。日本の国花は菊と桜である。いずれも中心点を軸に花弁が広がっている。中心が枯れれば花弁も散ってしまうであろう。3本の矢も同じである。3本の矢を重ねれば折れにくくはなれど、3本を固める接着剤(軸)がなければ矢はいずれ折れるであろう。

心を病む現代の人よ、心の中に風を取り込むとよい。木枯らし吹くときもあれば、春風が吹く日もあってよかろう。薫風吹く日も台風となる日があってもかまわない。溜め込んだ気持ちには放流口が必要であるが、溜まった水を抜くだけでは心は軽くならない。

美味しい空気を探すことをためらわないで。自分の中に溜まった不浄な空気を全て吐ききって、美しい空気をたっぷり吸ってみよう。釧路湿原は全てを教えてくれる。上高地の澄み切った空気も良いだろう。あなたが思う美しい空気を探せば答えはそこにある。

哲学を知りたい時は、竹林へ行くとよいかもしれない。嵐山へ行けばよいだろう。松竹梅と言うけれど、竹を見ると心がすっとする。京都は哲学の土地である。心と頭を無にする空間が多く、自分と対話できる場が多いのである。

哲学の道を歩くのもよい、私は龍安寺が好きである。「無の境地」で行う自分との対話は、スピード社会の現代において尊い時間である。上賀茂神社もまたおすすめである。

情熱に燃えるあなたは、「春のために闘う」意識を持つとよいであろう。春は芽生えの季節である。ゆめゆめ己のためだけに闘うべからず。たくさんの才能を持った種たちのために己に克つことこそ、克己心の真髄也。

自分に厳しいあなたは、「人を超越した厳しさを持つ山に抱かれる」意識を持つと癒されやすいだろう。人はどれだけ頑張っても所詮人に過ぎず、自然の前では無力に等しい。日本では、たくさんの美しい山々があなたを待っている。

私は厳しさを感じつつ優しい北海道の山が大好きである。秋の温根沼に足を運んでみて。稀に現れる、曙色に染まる雌阿寒岳を見れば、比較競争社会で疲れた心は安らぐであろう。ニセコの地で羊蹄山を望めば大志に気付けるかもしれない。旭岳にて凛と咲く高山植物を見れば、自らの美しい志は正しいと自信を持てるであろう。トムラウシに行けば孤独は癒される。人は皆生まれながらにして孤独である。

現代に生きる全てのひとよ、旅には2種類あるのである。

1つは多角的な視点に繋がる「外面の旅」、2つめは洞察力に繋がる「内面の旅」である。物事は、平面だけで捉えるべからず。一期一会だけでは物事は解決しないのである。もののあはれを大切に生きれば、そこにはたくさんの感情が見えるであろう。わびさびの精神をもって生きれば、本に頼らずして問題解決できる自分に出会えるはずだ。

ゆめゆめ忘れるべからず。今はさながら戦国時代なのである。

2024.1.23 

東(あずま)ゆう

▽朝5時の北海道神宮頓宮