(家族についてのエッセイ)心からのごめんねが欲しくって。⑥「わたしにとってのお洋服」

当エッセイは、「家族関係と人生への影響について、様々な視点で考えること」と、「人の才能は人生の光と影の両面にあると伝えること」を目的に書いております。

※今回は、言葉での暴力についての記載があります。

※人によっては読んで過去のトラウマを思い出す可能性がありますのでご注意ください。

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⑥ー1:子から親への愛

血を分けた親を、誰が好き好んで憎むというのだろうか。

なぜ親子関係で苦しむ人が多いのか、子から親への本能的な無償の愛があるからではないだろうか。

大好きでいたいのにそうさせてくれないことばかり起きるから、苦しいのである。

母を大嫌いになりたくなくて、私は高校卒業後以降、地元九州を離れ続けている。母の元に長くいると、気が狂うからだ。親不孝と言われても、一生福岡に住むことはないだろう。

常に「自分」を母にコントロールされ続けると、あったはずの自我がどんどん黒く染まり見つけられなくなる。

「白の自分」・「カラフルな自分」が全て黒く染められる中で、「母の操り人形としてしか価値がない自分」=「当たり前」となっていった。これが心理学でいうところの無価値感であろうか。

目は見えるけれど、光を全く感じない暗闇の世界は心で体験している。深い無価値感の世界には、光などない。暗闇しかない「無の世界」である。恐ろしく孤独で冷たい世界であった。今思うと、この境地に至ればそれは死にたくもなるだろう。

「(今のあなたがあるのは)ママのおかげ」

母は、ここ2年ほど狂ったように私にこの言葉をぶつけてきたものだ。その言葉がどれほど鋭く娘を切り刻んでいるかなど知るよしもないだろう。過干渉から逃れ、「自分の人生」を切り拓くために死ぬほど努力を重ねたのに、母の一言で全てぶち壊される。

母の前では、素の自分などほぼ見せられやしない。

この世で一番近くにいた大切な人が、この世で一番自分を傷つける存在だなんて、神様はなんて残酷なんだろうと時折思う。

嫌いになろうとしたし、殺意が芽生えたこともある。でも、できなかった。

九州という男尊女卑色の強い地域において、母は弱者である。私が守らねば誰が守るというのだろう。私が理解せねば誰が母を心から理解するというのだ。そう思ってずっと母の弱さと脆さを黙って受け入れてきた。

⑥ー2:お洋服と母

小学校4年の頃から塾に通い、他の小学生と机を並べた。皆優しい子ばかりで、はじめて「居場所」を見つけたように思う。制服を着たのは私ともう1人の男の子だけで、他は皆カラフルな私服を着ていてまぶしかった。

「お洋服」は私にとって強烈なトラウマ源である。

お洋服は、いつも母にデパートで買ってもらっていた。買うときは定番のパターンがあった。試着等をした時に、私の容姿を店員の前で母から否定されるのである。

「この子はブス・デブだから。みっともないから」何度言われただろう。私が好きで選んだ服はまず否定された。自分がこの世の正解かのように母は振舞っていた。彼女は昔から非常にセンスが良いから、買ってもらった服を着ると、「可愛い!」と周囲からは褒められた。

子供だった頃は「自分の気持ちを正確に表現する言葉」を知らなかったから、黙っていたように思う。思えば実に複雑な気持ちだった。

自慢の母親を褒められて嬉しい反面、「自分」を殺されたようで虚しかった。

こんなことを独白するのも恥ずかしい限りだが、34歳にもなって、私はやっと自分が心から好きだと思えるカラフルなお洋服を買うことができた。怖かったけれど、生きた心地がした。

大好きな人達に、大好きな自分になって会いたい。そう思って買った服を着て、今年の冬北海道にて、前職で出会った大好きな人達に会いに行ってきた。はたからみれば大袈裟だろうが、私の中では「素の自分が選んだ服を着る」ことは、一大事である。

そこで「可愛い」と褒めてもらった喜びがどれほどのものだったかは、ご想像にお任せする。

東ゆう