(家族についてのエッセイ)心からのごめんねが欲しくって。③「宗教。そして抑圧された子供たち」

※③ー2の後半部分に、いじめに関する描写が少しありますのでご注意ください。

③ー1:宗教と現代社

大人とは、「狼の面を被ったみにくいアヒルの子」だと思う。

いつもずる賢く己の弱さや醜さを弁論の自由をもって上手に隠してしまうのだから。

大人のエゴで傷ついた者たちが一体この世に何人いるだろうか。生まれてこなければよかったなどという悲しく切ない思いを、本人の意思によらず感じている人がこの世に何人いるだろうか。

大人とは、「頭が良いふりをした大馬鹿者」だと思う。いつも分かったふうな口を利くくせに、物の道理をなにひとつ分かってはいない。

私は令和の世界において孔子を信じる大人達を心底軽蔑しているし、彼の教えと自分を比較して自信を失う大人達を心底哀れに思っている。一体いつの時代を生きているというのだ。縦社会の歪みを知りつつ彼を正しいと思うような大人達が口にする「ダイバーシティ」という言葉のなんと虚しいことよ。

信仰の自由という観点から、一国民としてはっきりと言いたい。私は儒教の教えが好きではない。儒教の全てを知っているわけではない。でも、それでも「嫌いなものは嫌い」と言ってなにが悪いのだろうか。

日本を無神論者などという見る目を持たない愚かな世界の住民のこともまた嫌いである。「八百万の神々」という当たり前の信仰がベースにあるからこそ、日本は色んな国の教えを柔軟に取り入れているというのに。カステラが当たり前に食べられるというのに。

政治はなぜ迷走しているのか?これまで色んな国の教えを当たり前に受け入れすぎて、自国の本分を見失っているだけである。総理大臣を目指す一人として心から訴えたいことがある。現代において世界でリーダーシップをとれる国は日本を除いていない。

どうか目を覚ましてほしい、気付いてほしい。

今我々が置かれている「当たり前」は誰かにつくられた一時的なものであり変えられるということを。日本が古来から大切に守ってきている「様々なものに神は宿る」という教えがもつ意味を、大切さを。

③ー2:私の小学校時代

私は小中高とエスカレーター式であがれる学校にいたが、あまりにしんどいので中学受験をした。記憶が曖昧であるが、たぶん親にお願いしたように思う。

なぜか?あまりに歪んだ世界で生きづらさを感じていたからである。表向きには、純真無垢な子供たちが可愛く清楚な制服を着て集うような学校であった。通学すれば聖母マリアのように心根が美しい女性になれそうなイメージ戦略をとった学校だった。だが、蓋をあけたら綺麗なものなど全くなかった。みにくいアヒルの子達がもがき比較しあい、互いの羽をちぎりあうような世界だった。

「ちゃんとした子供」になるべく、私は家庭でも学校でも厳しく躾けられた。お陰様で社会受けは非常に良い。「誰か」に決められたきちんとした制服をきて、赤いランドセルをしょってイエス様の教えを聞いてミサに出る日々だった。

医者の娘、歯医者の娘、政治家の娘、大手企業の娘、社会的ステータスがあるとされる家柄の娘たちが親のエゴによって1つの鳥かごにいれられていた。

女は生まれながらにして女である。自分は1番可愛いのだと自覚し、女の武器を使って高学年を味方にしていく小学1年生をこの目で見たことは忘れない。

いじめも物凄くある学校だった。それもかなり陰湿ないじめだった。6年生の上靴が、1年生の教室前の花壇の中から見つかったことがある。ある子はランドセルを切り刻まれていた。頭のおかしい先生が、ホームルームで彼女のいじめを公表していた。怒らないから犯人は手をあげろと、さも自分が聖者かのような口調で言う。

無視など当たり前に行われていた。私は宿題を盗まれたことがある。不幸中の幸いで友達はいなかったから仲間外れにはあわなかった。歪んだ子供社会では、常に気が抜けなかった。油断すれば次は自分の番である。

怖かった、物凄く怖かった。大好きな両親に助けてもらいたかった。思えば、父の温かい手と母のおにぎりだけを糧に生きていたのかもしれない。学校なんて大嫌いだった。怖くてしょうがなかった。逃げ出したかった。でも、クラスメイトが「市立の学校はもっといじめが激しいらしいよ」とささやくから、黙って耐えていた。

東ゆう