(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑤「懐に剣を忍ばせ今を生きる」

 睦月二十一日。方向音痴の私は、薄野の雪道をさまよいながら一軒のお店に辿り着く。潰したくない才能が1人待つこの日は、実に運命の日であったと思う。「役員になれ」と言われ続けた自分が、生まれて初めて誰かに「役員を目指せ」と伝えた日だった。

一体どれだけの人が知っているだろう?「運命」とは自分で選べ切り拓けるものだと。一体どれだけの人が知っているだろう?人には皆「さだめ」があることを。私たちは、さだめの上をただ転がっているに過ぎない。ただそれは時に理不尽で辛く厳しいものであるから、希望をもたせるために「運命」という言葉はできたのだと思う。

「考える」という行為は、人を自由に解き放つ役目を持つと同時に、人を世の中の不条理から守る役目を持っているのではないか。

物事には皆様々な二面性があるものだ。ある人は「天使と悪魔」、ある人は「ジキルとハイド」であろうか。二面性は人によって振れ幅が異なり、振れ幅が大きければ大きいほど孤独を感じやすい。私の中にもたくさんの二面性がある。「博愛主義な私と冷酷な私」・「情に厚い私と意思決定に一切情を交えない私」・etc。

よく観察していると、人という生き物は実に面白い。人の心というのは、様々な二面的性質が集まって、個性という多面体を形成している。だが、その事実を正しく見れる人が年代問わず少ないのである。なぜだろう。物事をある一面だけ切り取って判断する人がなぜこんなにも多いのか。いつから日本には0か100か思想という病が蔓延してしまったのだろうか。私は悲しい。美しい日本はどこへ行ったというのだろう。

周りの大人を見て私は思う。年の功というのは幻想だったのだろうか?いやそんなはずはない。希望を信じ、私は思う。そうだ、きっと教えてくれる人がいなかっただけであろう。

老害と呼ばれる人を見て私は思う。なぜ経験は年齢と比例すると思うのだろうか、と。若者は経験値が自分より少ないから下に見てよいとなぜ思い込むのだろうか。私よりも根性が圧倒的に足りず感情のコントロールも不得手であるのに、私よりも上でいたがる大人達を見て私は心から哀れに思う。そうか、謙虚さを教えてくれる先生がいなかったのか、と。

老害と呼び批判する人を見て私は思う。なぜ自分達の「常識」が「正しい」と思うのだろうか。「常識」とは自分の周囲の環境が生み出した幻想にすぎない。「老害」と呼ばれる人は、本当に「老害」なのだろうか?ちゃんと考えて批判した人が一体何人いるだろうか、実に興味深い。

人は、目の前の人を見ているようで実は見ていない場合も多い。「周囲が作り出したその人像」であったり、「その人の持つある一面/過去に持っていたある一面」を見ているだけの場合も多いのである。

「人を見る目」とは、誰もが身に付けられると知っているだろうか。学校では教えてくれないだろうが、私は経験で知っている。目の前の人を見るときに、次の3点を意識して徹底的に観察および考察をすればよいのである。

①周囲が作り出したその人像がどんなものか、②その人の内面にはどのような「こうあるべき自分像/こうありたい自分像」があるか、③その人の内面的本質はなにか。

①を知りたい時は、周囲の反応を観察すればよい。②を知りたい時は、「なぜそうしたのか」と目の前の人の仮面をはがさず聞けばよい。③は一番難易度が高い。ジャッジをしない安心安全な中立的立場で、仮面を被ったその人にこう聞くのだ。「なぜそうしたのか」と。

思うに「老害」と呼ばれる人は、ただ戸惑いを素直に出せないだけなのではないか。年をとるごとに神経衰弱が苦手になるように、頭の柔らかさも年齢に反比例するのではないだろうか。経験が少なく視野が狭い者ほど、物事を自分が知る数少ない物差しでしか見ようとしないものである。何のために学問はあるというのか。

凝り固まった考えというのは、思うにスパッと一刀両断にしたほうが良い。斬られたことも分からぬほどの速さで斬り捨てるのがせめてもの優しさだろうか。

自分を守るための懐刀を、歪んだ世界を斬り捨てるために使いたい。

東ゆう