(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅④「雪風を感じ、光と影を想う」

雪国の風を感じながら、母と話す。久方ぶりの母の声。一番娘を知る母の声。娘の志を普通だと母は笑う。姉弟揃って総理大臣を目指すなんて、バカだねと優しく笑う。変な日本語を使うなと叱られもした。私は嬉しい。電話口には、本来の姿をした器の大きな母がいる。

能力はとにかく隠せと言われて育ったから、本来の自分はひた隠しにして生きてきた。自分を隠して生きた者だけが分かることがある。人は相手に「こうあってほしいその人像」を重ねている。表面に出ているその人が「その人のすべて」と思い込み過ごしている。あまりに綺麗に隠せるものだから、今の私を知るのは一握りもいない。

世のほとんどの人は知らないであろう。人の本質は「眼」と「雰囲気」を見ればすぐに分かるのだ。幼い頃から人を見続けていると、悲しいほどすぐに見えてしまう。

目の前で笑うその人の中に、泣いている少年少女を見つけることなどたやすい。目の前で怒るその人の中に、諦め哀しむ気持ちを見つけることなどたやすい。

ほぼすべての人は、成功者の光の部分しか見ないけれど、影あっての光なのである。羨まれたことなど何度もある。お前はいいねと何度言われたことであろう。私は羨ましい。分かったふりをして私に近づいてくる全ての人が羨ましい。

ある人は言う、お前はコミュニケーション力が高いと。あたかも元々私がその力を持っていたかのように。笑顔の面をつけつつ、心の中で私はラオスを想い涙する。

歴史を明らかにしようと行ったラオスの農村で、歴史を紐解く調査をした。人の話を聞くことが好きであったから、良かれと思って年齢問わずとにかくインタビューをした。ある日村の奥にいる老婆へ話を聞きに行った。話し始めるなり体を震わせ泣き崩れてしまった。インタビューは中止とした。後日、戦争を知る世代と知った。私は苦しい。人には思い出したくない記憶があると分かっていたはずなのに。驕った自分の「良かれ」が無実の人を傷つけてしまう。

人には守られるべきパーソナルスペースがある。23歳でラオスへ行ってからずっと、人との距離感を調整しながら生きてきた。会社の誰かは私に言う。人との距離感を掴むのがうまいと言う。継続すれば誰にでもできることだと、私は思う。

何も知らない上司は私へ言う、「大きな失敗を経験するべきだ」と。貝のように私は心を閉ざす。私は虚しい。「目の前の人が見る私」は「1%にも満たぬ私」なのである。

継続は力なりと言うけれど、凡人の私は心からそう思う。

ある人は私の中に「繊細さ」を見つけるであろう。

ある人は私の中に「素直さ」を見つけるであろう。

ある人は私の中に「聡明さ」を見つけるであろう。

ある人は私の中に「分析力」を見つけるであろう。

本来の自分を半分ほど出す今、神だのスピ系だのと言われることがあるけれど、聞くたびに心を閉ざす。母は笑う、マンホールの蓋がただ開いただけなのにねと。

分かっていない人は多いけれど、世の中には「天才と言われるまで努力を続ける人」と「真の天才」の2つの天才がいるのである。

前者が私である。

人に言えない相談を聞くたびに、一緒にその人の傷を心に受け入れて20年経つ私は並外れて繊細である。

プライドだけ高く大失敗した時に、京都の料亭の大女将は素直さの大切さを教えてくれた。以来10年以上素直であることを守り続けている。

大学院~東京勤務時代には、実に優秀な上司や友人に恵まれてきた。周りの良いところを素直さを持って学び、個性と思えるまで実践してきた。

自分の中にある好奇心を大切に、物心ついてから今まで、ありとあらゆる角度や深さで物事を考え続けてきた。

継続は力なりというけれど、「自分を信じ続けること」こそ継続の要也。たいていの人はどこかで諦める。諦めるくせに他と比べあいつはいいなとぼやき始める。

真の天才は、努力せずとも成功できる者を指す。中高時代にいた、一度聞けばすぐに覚える子がその手のタイプであろう。現役で旧帝医学部に進学してしまえるのだから。

私には分かっている。皆努力ができないのではない。ただ、自分を信じ続けてくれるような、そんな環境や人に出会えなかっただけである。

私には分かっている。1人でもいい。自分を信じ続けてくれる者がいれば、人は努力を続けられるのである。

能面の奥にたくさんの感情を匂わせて。

ある時は翁のように、ある時は鬼人のように、女のように男のように、老婆のように。怨霊のように人を羨む面があっても良いだろう。

様々な面を持って自分を表現し続けて何年になるであろうか。

今の私が目指したいのは "幽玄の美"である。

風花を感じながら、この世にあるたくさんの感情を感じ守りたい。

すべての人は「花」である。

肩書に騙されることなかれ、表面の感情に呑まれることなかれ。

涙の川ですべてを洗い流した先に、「まことの花」はあるのである。

2024.1.25

東(あずま)ゆう

北海道神宮頓宮にて。