バイセクシャルの私が思う、「自殺」や「非行」の根底にある、大切な自分を守るための究極の愛

おはようございます😊心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。昨日は冬至の日でしたね!ゆずが安かったので、お風呂に入れて楽しんでいました✨今日はこれから奈良へ向かい、カウンセラー同期の禅タロットなるものを受けてきます💕💕

そうそう、今回のブログはかなり重めの内容を取り扱いますので、タイトルを見て重たい気持ちになった方は、ちょっとお知らせの部分のみ読んでお帰りくださいませ✨

 

ちょっとお知らせ(自分の軸を探すヒント集連載について)

旅エッセイシリーズの前に、連載を開始していました「自分の軸を探すヒント集」なのですが、書いていてもっと色んな人に伝わる伝え方あるんちゃうかと思いまして、しばらく休載いたします。1つの要素で自分の軸を見つけた訳ではないなあと書きながら気付いちゃって。インスピレーション降ってきたらすぐに書きますので、お楽しみに💕

私の幼少期とバイセクシャルを自覚したとき

朝から重たい話題ではありますが、皆さんの中で「死にたい」と本気で思ったことがある方はいらっしゃいますか?私はあります。いつだったかな、中学校3年生の時じゃないかな。初めて女の子に好意を持った時です。

私はね、小学校から高校まで12年間女子校(小学校はキリスト教、中高は仏教校)にいたのですが、中3の時までは1ミリも女の子なんて興味がなかったんですよ。初恋も男の子だったし。でも、急に1人だけ。1人だけ今まで感じたことがないくらい惹かれる女の子に出会ってしまって。それがバイセクシャルであると「自覚」した最初の日でした。

※「自覚」とあえて書いているのは、事実をはっきり知りつつまだ自分で事実を認めていない(=自認していない)状態だからです。

あれって不思議でね、好意を自覚した瞬間、はっきりと「絶望」しました。同性愛がなんなのかなんてもちろん分かっていないんだけど、「これは親が求める愛の形ではない」と本能的に分かるのですよ。不思議ですよね。

今では大好きと言えるけれど、私はばりばり経営者である祖父と母にかなり影響を受けて育ちました。父は凄く優しいけれど誰かに強く意見を言うのが苦手なタイプ。いつも黙って夜遅くまで家族のために仕事を頑張っていました。

「世のために立派な人間になれ」という理念のもと、小学校の時からずっと勉強漬けの日々でした。小学校受験もしてます。毎日帰ったら仁王立ちの母が待っていてずっと怒られてました(笑)

「なんでこれもできていない!」・「やる気がないなら塾やめろ!!」等々。母も一生懸命だから、ほんっとうに厳しくて。椅子も飛んできたし、教科書なんて真っ二つに破られたり(笑)当時皆仲が良かった塾だけが救いの場だったから、母に怒られるたび土下座して塾に通わせてくれってお願いしていました。リアル巨人の星です(笑)

「自殺」や「非行」を考える前に感じる「当たり前の崩壊と絶望」

前述のとおり厳しい家庭でしたので、帰る場所なのに「居場所」がなかったんですね。家には自分の意見や想いを自由に言える場なんて存在しなかった。弟は私と正反対で毎日楽しく遊んでいるように見えたから、自分と違うと心を開けなかったです。

そんな中のバイセクシャル自覚だったから、バレたら完全に居場所がなくなるって瞬間的に思いました。でも「好き」という気持ちって、簡単に消せないんですよ。一度火がついたら止まらない。でも誰にも言えない。今のように「LGBTQ」とかなんて言葉は社会に存在しない。そんな日が続いた時、「普通じゃない自分が悪い」って自分を責め始めました。「親の期待に応えられないおかしな自分が悪い」って。家の中で、誰にも攻撃されないように1人で閉じこもって音楽聞いて、自分をずっと責めることで許してもらいたかった。

人間は本当に追い込まれるとすごく視野が狭くなるのですよ、自分責めを続けると、最初は自分の体を傷つける程度で済むんだけど、だんだん「死んで許してもらおう」という思考になるんですよ。何回自殺未遂しただろうか、でも結局死ねなかったから私は本当は気付いて欲しかったのだと思います。気付いてただ抱きしめてほしかった。

「自殺」や「非行」の根底にあるのは、大切な自分を守るための究極の愛

当時は自殺を究極の愛だなんて思ってませんよ(笑)また、自殺や非行をすすめたくて言っているわけでもありません。

でも、一昨日不良経験のあるカウンセラー同期とカウンセリング実習をしていた時にね、気付いたんです。私が試みた「自殺」と彼女が行った「非行」は根本が同じなのだと。どちらも「自分が最も大切に想う自分自身」を守るために行っているものなのですよ。

誤解を招かないように申し上げるとすべてのセクシャルマイノリティが自殺を考えるわけではございません。私が思うに、「自殺」も「非行」も家庭環境がだいたい鍵をにぎっております。親の期待に応えたいという愛が強い子ほど、期待という他人からの依存に潰されやすい。自分を責めやすいものです。

私が思うに、「親の期待に応えられない自分」を責めて自分を罰し消すことで大切な自分を辛さから解放してあげようとするのが「自殺」であり、「非行」とは大切な自分を思い切って辛い場所から逃がしてあげるための行為に思います。

どちらも、自分や親への「愛」ゆえにおこるもの。だから簡単に逃げればいいじゃないか等の生ぬるい言葉は言わないでいただきたい。経験者しかこの絶望と孤独は分からないと思うからです。

この世でたったひとりの大切な自分

自分という存在は、この世でたったひとつしかない何より大切な存在です。純粋で美しい存在なのです。でも、誰も周りに味方がいないと分かるとあっという間にひびが入り壊れ始めます。

心理カウンセラーとして、経験者として、私は「あなたが自分の足で立てること」をずっと信じ続けます✨大切な自分を傷つける辛さは例えようがないですが、大切な自分が癒される幸せはもっともっと力強く温かいものです。

辛さを感じたらいつでもここへ帰ってきてくださいね😊何より大切なあなたは1人ではありません✨

東ゆうでした💓

▽大阪のコリアンタウンにて。(なんか髪の毛オイリーなんだけど・・笑)