(家族についてのエッセイ)心からのごめんねが欲しくって。⑦「伝染する病と罪悪感」

当エッセイは、「家族関係と人生への影響について、様々な視点で考えること」と、「人の才能は人生の光と影の両面にあると伝えること」を目的に書いております。

※今回は、家庭内暴力およびいじめについての記載があります。

※人によっては読んで過去のトラウマを思い出す可能性がありますのでご注意ください。

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⑦ー1:道後温泉にて

道後温泉は飛鳥の湯にて、額田王の代表歌を目にした。

「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」

このタイミングでこの地に来れたことは幸運である。「自分らしい人生」という大海原へ舵を切ってから約3ヶ月。「私」という小舟で広い海へ出ることのなんと心細いことか。不安と自信のなさで潰れそうである。

だが「自分の舟」というのは小さくともなんと力強くまぶしいものであろうか。長年憧れ続けた白い舟を手にし、不安の影で心躍る自分がいるのである。

舟を支える背骨部分をじっくりと観察してみる。ほぼ全てこれまでの人生の影の部分から出来ているではないか。

やはり、影あっての光であり、黒の隣で白はより一層輝きを放つのかもしれぬ。

⑦ー2:罪悪感のはじまり

私には思い出したくない過去があった。母からの抑圧に耐え続けていた被害者だった自分が、抑圧を発散すべく、弟と小学校のクラスメイトをいじめたことである。

今でこそ私よりも力が圧倒的に強い弟だが、当時は小さかった。子供は時としてずる賢く残酷である。母がいない隙を狙い、弟をたたき布団に閉じ込め、泣くまでいじめていた。

当時は理由など分からなかったが、今思えば寂しかったのだと思う。

母は姉弟を対等なものとして教育したつもりらしいが、姉の私からすると、弟は私に比べ甘やかされているように見えた。そして友達がいない私に比べ、弟は周囲から愛され友達が多いように見えていた。

私は弟のことを、昔から大好きだった。自慢の弟であり、今も心から大切に想っている。

家にも学校にも味方がいない私にとって、弟は世界でただ一人の仲間であった。だからこそ、弟がよそに友達を作っているのを見て悲しかった。私を1人にするのはなぜなのだと、寂しくて理不尽に怒っていたのだと思う。

書いている今、当時の光景がありありと目の前に浮かんでくる。弟の泣き声が聞こえてくるようだ。人として絶対に許されないことをしてしまった。思えばここが私にとって「罪悪感」の出発点だったように思う。

⑦ー3:好奇心が持つ影の部分

小学校はいじめが常時発生する場所であった。弟をいじめていた私であったが、当初赤の他人へのいじめには全く興味がわかなかった。

ある時、「いじめられたらどんな気持ちになるのだろう?」と興味をもった。誰もいない場所で、自分の上靴に水をため画鋲をたくさん入れてみた。履く気はしなくなったが、「へえ」としか思わなかった。ちなみに私は不幸の手紙が流行った世代である。

子供の好奇心とは、時にまっすぐ歪んだ方向に向けられるものである。「いじめられる人の気持ち」を知りたくて、私はある1人に対し陰口をたたいたことがある。クラスで1人高飛車な性格をしたアトピー持ちの子だった。こいつならいいだろうと思った。

彼女を嫌うクラスメイトを味方につけて、「赤ピーマン」と呼んでいた。そのうち本人にばれ、人前で「私がアトピーだから赤ピーマンなの!?」と叫ばれた。

今でも表情を覚えている。怒りの影で凄く傷ついて泣きそうな彼女がそこにいた。その顔を見て、自分が知りたかったこと、好奇心が人を傷つけることの両方を知った。

「違うよ、赤ピーマンが嫌いだからだよ」と誤魔化したけれど、ばつが悪かった。

加害者と被害者の両方を経験したことがあるからこそ、私はいじめやハラスメント行為をする人/される人を、その人の背景を含めて理解するようにしている。

起こしたことはどう頑張っても変えられない。でも、そこから学び次に生かすことはいつでも出来る。

過去の自身の弱さ・醜さを戒めとしつつ、なるべく人に優しい自分でありたい。

東ゆう