(家族についてのエッセイ)心からのごめんねが欲しくって。④「居場所はどこにあるのか」

当エッセイは、「家族関係と人生への影響について、様々な視点で考えること」と、「人の才能は人生の光と影の両面にあると伝えること」を目的に書いております。

※家庭環境にトラウマがある方は読まないことをおすすめします。

※今回のエッセイは、家庭内暴力についての記載がありますのでご注意ください。

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④ー1:社会の冷たさを知る

日本社会は、ずいぶんと前から人間関係の希薄化が進んでいる。

私が小学校だった頃、博多駅は実に治安が悪かった。駅周辺にはたくさんホームレスがいたものだった。制服を着た子供など珍しかったから、彼らからみたら私はさぞ恵まれた存在に見えていただろう。

通学時には何度か絡まれ怖い思いをした。社会的弱者である彼らからしたら、標的にしやすいのも無理はない。周囲だけでなく自分さえも自分の味方ではなくなった時、人はおそらく他責思考となるのではないかと思う。無敵の人のニュースを見るたび、彼らの孤独の深さを考えずにはいられない。

あれは小学校3年生の頃だっただろうか・・・博多駅のど真ん中で私は攫われかけた。片手に酒瓶をもったホームレスに、突然手を掴まれてどこかへ連れて行かれそうになった。「かわごが、かわごが」と呂律の回らない口調で言いながらも、私の手首を掴む力は男の力だった。父が偶然トイレに行っている最中の出来事だった。

人はあまりに怖いと声も出ないものである。助けての一言が、どうして声にならなかった。目の前に駅員がいたのに、知らんぷりで助けてもらえなかった。目の前にはたくさん人がいたのに、皆知らんぷりだった。

結局父が戻り事なきを得た。父が何も悪くないのは分かっているけれど、今でも心のどこかで謝ってほしい自分がいる。1人にしてごめんね、と謝ってほしい。目の前に人がいるのに、誰も味方がいないという孤独感はそれほど強烈だった。

社交的と言われる私だが、これは20年以上の努力で身に付けた力だと思う。実際は、今でも人が怖く心を自然に開くことが難しい。それでも人の個性や皆で一緒に何かに取り組むことは大好きだから、頑張って近づき方を日々模索している。ハリネズミのような人だと自分では思っている。カメレオンにハリネズミに、忙しい日々である。

元々持っている強みは、自分の中で当たり前すぎるので説明できないと言われている。その点でいくと、私は社交性の身に付け方について伝えられるかもしれない。

④ー2:鬼になった母と中学受験

小学校4年頃だっただろうか、私は中学受験をすることになった。自分の希望を言った記憶はないからたぶん親の意向だと思う。塾に毎日通い始めた。

その頃の母は、母親の形をした鬼だった。毎日塾から帰ると、母と子の地獄の特訓が深夜まで繰り広げられた。母は厳しかった。とにかく出来ないことを徹底的に罵倒され続けた。「なんでできない!」・「やる気がないのか!」とひたすら言われ続けた。泣くと母の怒りはさらに増すものだから、私には泣くことなど許されなかった。今でも人前では容易に泣けない自分がいる。泣く=攻撃されるだからである。

叩かれることもしょっちゅうだった。椅子も飛んできた。寒い日に、外に出されたことも何度もある。社宅だったから、隣の家の人とたまに鉢合わせしてしまった。憐れみの視線だけ投げかけてさっと温かい家に帰っていく隣家の人。誰も助けてくれなかった。たいそうみじめだった。

それでも母を恨んだことはない。心からのごめんねは待っているけれど、恨めずにいた。私は知っていたのだ。うとうとしているある日に、母が「ごめんね」と言って泣いて、私を抱きしめていたことを。

子供は一筋の光を信じる天才である。

たった1度しか記憶がない、母の「ごめんね」を聞いて全て許してしまった。私が1人で頑張る癖は思えばここから始まったように思う。私が頑張れば母は笑ってくれると信じていた。大好きな母のためなら、耐えられた。

東ゆう