(旅エッセイ)開拓の土地にて自分のルーツを探る旅⑥雨靄(あまもや)の中、春を想い泣く。

如月二十五日。霞始靆かすみはじめてたなびく)。

運命とさだめのなんたるかを深く考えさせられた北国での日々を思い返しつつ、私は広島に来ている。「平和の重さ」とは何かを35歳の自分に叩き込むためである。明日は呉へ向かう。

昨晩は西成を少し歩き、学童保育施設の戸をたたいた。近いうちに見学をさせていただくつもりだ。私のような悲しい過去を持つ子供をこれ以上増やしたくはない。

国民の一人として、過去や現在における社会の光と影・その背景についてしっかり向き合いたい。

真の強さとは、己の弱さ・醜さから逃げず向き合い受け入れることではないだろうか。

膿の根源から目を背ける会社や光の部分に焦点をあてて暗い過去をなかったことにしようとする大人達を見ていてそう思った。

「視察」という言葉が私は嫌いである。見て学ぶと書く「見学」という言葉が好きである。先のことはいつだってわからないけれど、ご縁あって私が政治に関わる日がくるならば、国の光も影も抱きしめて未来を考えたい。全国民を家族と思い、共に笑い泣き時には喧嘩して家族の将来を皆で考えたい。

小学校ぶりだろうか。久しぶりに「平和記念資料館」を訪れた。綺麗になった資料館を妻と2人で見て回った。

一歩一歩が非常に重く、苦しい時間であった。時折足がすくんでしまった。戦争は二度としてはならないと思った。そして、人々が助け合う写真を見た時に、「国の豊かさ=人々の繋がり」であると心から思った。胸が締め付けられるような写真であったが、力強い美しさも感じた。

私は、動きながら考えることを常日頃から大切にしている。石橋を叩いて渡らないと、と心配する人もいるだろう。悲しいかな、親の呪いというのは強烈なのである。先手を打たねば母に「自分」を殺されてしまう日々だったから、常に先手を打つのである。

私という人を説明する際には、「海外との出会い」がかかせない。今日はイランについて書いてみる。

TVを通して情報統制がされていると20代前半で知ってから、私は普段TVを見ない。現場主義を意識し始めたのは、イランに行った時からだろうか。

2011年、私は1ヶ月イランのシーラーズ大学にて語学研修をしていた。当時日本のニュースではイランのデモ騒動ばかりが取り沙汰されていた。TVから見たイランはテロの国に見えたが、実際現地は平和だった。広い国土のうちほんの一部だけを自分が見ていたことを痛感した。

イランとは出会うべくして出会ったように思う。ああ、そうだ。行ったときは2月であったから、現地で誕生日を祝ってもらった。

短い時間の中で、実にたくさんの場所に連れて行ってもらった。ナクシェ・ロスタムやシャー・チェラーグ廟にまた行きたい。薔薇が美しく、詩を愛する国民性だと知った。ゴル・アーブ(※薔薇水の意)のシャーベットを食べた日も懐かしい。イランはピスタチオも有名で大変美味しい。

一見外は平和であるのに、日常では情報統制が行われていた。facebookを開こうとすると、ペルシア語の規制ページが出てきたものである。寮にあったTVで見たローカルニュースでは毎日戦争の映像が流れていたように思う。

情報統制とは何も他国に限った話ではない。正直なところ今の日本でも当たり前に行われていると思う。だから、ニュースを見るときは「それが全て」と思わないよう一歩引く癖をつけている。

洗脳とはそう縁遠い話ではなく、割と身近なテーマである。

「どうして経営学に進んだのですか?」とカウンセリングを受けてくれたクライアントの1人から質問を受けた。

経済制裁が国民生活に与える深刻な影響を、イランで生の声を通して知ったからである。その国の経済が発展すれば問題解決に繋がるのではないか?イランと縁がある日本の企業が現地に進出すれば発展の一助になるのではないか?

知識がない中「日系企業の中東進出」に関心を持ち、経営学を学ぶことに決めた。祖父が経営者をしていたから、企業活動は経済の発展に繋がると思っていた。

東ゆう